ボール・ウォッチの“ドーリットル空襲記念モデル”について考える

太平洋の画像 その他

2022年、アメリカの時計ブランド“ボール・ウォッチ(BALL Watch)”から、「ドーリットル空襲記念モデル」が日本を除く世界に向けて発売されました。

しかし日本国内からの反発があり、現在日本国内からは当該モデルのページへのアクセスができない状態になっています。

そもそもドーリットル空襲とは?

ドーリットル空襲は、真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まってからわずか4ヵ月後の1942年4月18日に、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸をアメリカが空爆した空襲です。

編隊を組むのではなく、単機でそれぞれの地域を攻撃しました。

隊を率いたジェームズ・ドーリットル氏の名前を冠して、“ドーリットル空襲”と呼ばれています。

アメリカ軍による日本本土への初空襲は1942年3月4日、小笠原諸島南鳥島が最初とされていますが、南鳥島は赤痢などの伝染病により島民が離れ、1935年に無人島となり、日本軍が軍事用地として使用していました。

ですのでドーリットル空襲は、日本の民間人が犠牲になった初めての空襲、と言い換えることができます。

当初、民間人はターゲットにしていなかった

ドーリットル氏は目標から住宅地区を外し、軍事施設に限るように命じていました。更には機銃掃射を禁ずるという命も隊員に出していました。

しかし実際には、神奈川県横浜市で当時5歳の男の子が機銃掃射で撃たれ、亡くなっています。

一緒に逃げていたお兄さんが、あたり一面にある銃痕の穴を見て、自分も狙われていたと気付き、後から恐怖を感じたと語っています。

ドーリットル空襲による死者は約90名、負傷者は400名以上、全壊全焼家屋は100戸以上、半壊半焼は50戸以上に及びました。

そもそもアメリカでは優秀なパイロットとして知られていた

そもそもドーリットル氏は、ドーリットル空襲の前からアメリカで優秀なパイロットとして名を馳せていました。

マサチューセッツ工科大学を卒業し、大陸横断レースであるベンディック・ストロフィー・レースや、周回レースであるトンプソン・トロフィー・レースにて優勝をしたほか、初のアメリカ横断飛行を達成するなどの偉業をもつ、特別なパイロットだったのです。

アメリカだけでなく中国にとってドーリットル氏は“英雄”

今でも「Remember Pearl Harbor」、“真珠湾攻撃を忘れるな”という言葉が聞かれる通り、1941年12月7日(現地時間)はアメリカにとって屈辱の日でした。

ドーリットル空襲はこの真珠湾攻撃の敵討ち、ともいえる空襲だったのです。

その敵を討ったトップであるドーリットル氏はアメリカで英雄となったのです。

また、ドーリットル氏はじめ戦闘機が離着した場所が中国であったことも注目すべき事実と言えるでしょう。

作戦決行前から元々中国への着陸を予定していました。それぞれの戦闘機に中国語が話せる要員を搭乗させるなど、中国への着陸は予定通りだったのです。

ほとんどの爆撃機は中国に到着しましたが、数機は海に不時着し、乗組員1名はソ連への着陸を選択しました。

80人の搭乗員のうち、3人が戦死し、8人が日本で捕虜となりました。

当時中国は日本の統治下にありましたから、これらの捕虜は日本軍によって処刑されましたが、生き残ったドーリットル氏含めた隊員たちは、蔣介石夫人の手厚い歓迎を受けています。

つまり、アメリカだけでなく中国にとっても、ドーリットル氏は英雄だったのです。

当時の中国情勢を考えると、日本の敵であるアメリカに対し好意的な感情をもつのは当然のことと言えるでしょう。

ドーリットル空襲後80年が経って、記念モデルを発売されたことに、ボール・ウォッチが中国資本であることと関係がないとは言い切れないかもしれません。

日本だって人のことはいえない

かつての日本は、第一次世界大戦まで、外国との戦争において敗戦国になったことはありませんでした。

その影響もあってか、原田重吉など、命を惜しまず戦地で活躍した軍人が英雄として称えられる世の中でした。

太平洋戦争の終戦に伴い廃止された“陸軍記念日”や“海軍記念日”など、戦意を昂揚させるためとはいえ、戦争を記念日に制定していた日本があったことも紛れもない事実なのです。

国に関係なく、人の命に寄り添う気持ちは皆同じ

アメリカ・テキサス州にあるNational Museum of the Pacific War(太平洋戦争国立博物館)では、ドーリットル空襲をはじめ、真珠湾攻撃や広島・長崎への原爆投下などについて展示がされています。

2024年2月17日には、真珠湾攻撃後にワシントン、オレゴン、カリフォルニアに設置された軍事地帯から民間人を強制的に排除する権限を米軍に与えたことにより、12万人以上の日系人が投獄された事件への追悼イベントが開催されます。

自分のもつ国籍を元に戦争を見ると、どうしても自分(日本)にとって敵か味方か、そして自分の国籍(日本)の国がどんな被害に遭って、どれだけ苦しい思いをしたかを中心に、物事を考えます。

どの国民にとっても、それは当然のことと言えるかもしれません。

しかし調べれば調べるほど、歴史的事実と言うのは敵か味方か、そして自分の国が被害に遭った方なのか、危害を加えた方なのか、という短絡的に分けて考えられないことが分かります。

一つだけ確かだと思うのは、国籍を超えて、人々が過去の戦争、そして今起きている戦争について、人の命に寄り添う気持ちを持っていることです。

鉄道時計メーカーとしての誇りをぜひもってほしい

ビジネスとして過去の戦争の出来事が利用されてしまった事実を心より悲しく思います。

日本法人のボール・ウォッチ・ジャパンが声明文を出し、スイス本部に抗議の意思を伝えてくれたことは救いだったし、心ある対応であったと思います。

ボール・ウォッチは鉄道時計メーカーで、戦争との結びつきが強い時計メーカーの中では珍しく、鉄道事故により失われる命がないようにと、人々の命を救うために発展した時計ブランドです。

ファンの一人として、その歴史をぜひ大事にしてほしいです。

最後に

誰かを批判するためにこの記事を書きたかったわけではありません。

ただ、昭和史も時計も両方少しかじっている私が思うことを書ければよいな、と思い、コラムという形で記事にしました。

もっと、お互いに、人の命に寄り添う気持ちに、素直になれればいいなと思います。