出勤・退勤時間が日本史上初めて出てきたのは飛鳥時代
17条の憲法には、出勤・退勤時間を定める記述がある
突然ですが、“17条の憲法”って、読んだことありますでしょうか。
実は17条の憲法には、出勤・退勤時間を定める記述があるのです。
私が調べている中ではおそらく、日本史上最古の、労働時間を定めたルールかと思われます。
17条の憲法の内容……知ってる?
さて。
17条の憲法と聞くと、皆さんはどんな印象をお持ちですか。
「あぁ、聖徳太子が作ったやつね」
とか
「“和をもって尊しとなす”とか言うあれね」
とか
色んな声が聞こえてきそうです。
そもそも日本史の教科書の端っこにきっと、17条全部が載っていたのだろうけれど、真剣に読んだことがある人ってどのくらいいるのでしょうか。
学生当時、きっと先生が音読したのでしょうが、読経のように右から左に流して内容はすっかり忘れていました。
“出勤”と“退勤”の時間についての記述があるのは、第8条
前置きはこれくらいにして、本題に入ります。
“出勤”と“退勤”の時間についての記述があるのは、第8条です。
八に曰く、群卿百寮、早く朝り晏く退れよ。
公事はいとまなし、終日にても尽しがたし。
是を以て、遅く朝れば急に逮ばず。早く退れば必ず事尽さず。
【現代語訳】
すべての官吏たちは、朝早くから出仕し、遅くに退勤しなさい。
国家を運営する公務はいとまがないものだ。一日中務めても、すべて終えてしまうことが難しい。
このため朝遅れて出勤したのでは緊急の用に間に合わないし、早く退勤したのでは必ず仕事を残してしまう。
つまり、朝早く出勤して、夕方遅くになったら退勤するようにね、と戒めているのです。
“朝早く”って言われても何時に出社すればいいのか
いや、でも待ってくださいよ。
“朝早く”と言っても正確な時間を計る時計がない時代に、何時に出社すればいいのでしょうか。
現代社会だって「朝早く会社に来て」と言っただけでは、朝5時に出社する人もいるだろうし、7時に来る人だっていますよね。

(真面目な人が2時間も損をします。これでは和も乱れそうです)
しかも当時は不定時法です。
現在のように1日が1時間ごとに24等分されていたわけではなく、日の出から日没の時間を基準にしていました。
つまり日の出の時刻が早い夏は、一刻と一刻の時間が長く、日の出が遅い冬は、一刻の間隔が短かったのです。
季節によって一日の時刻が変動していたというわけです。
時計ができたのは発布から約70年後=時計はない!
17条の憲法が発布されたのは604年(推古天皇十二年)。
日本で初めての時計、漏刻(水時計)ができたのは671年。
つまり時計ができたのは約70年後です。
退勤時間は“和を以て貴しとなす”ですから、みんなで一緒の時間に帰ればいいものの、
では朝は何時に出勤すればよいのか。
漏刻より前に実は何か、時計代わりになるものがあったのか。
……と色々と想像して調べるうちに、答えを見つけました。
約30年後には出勤・退勤時間が定められることに
朝、真面目に職場に来なかったサボり魔大臣がいた
時は、17条の憲法が作られた推古天皇の次代、舒明天皇の世。
舒明天皇は、漏刻を完成させた天智天皇のお父さんになります。
その舒明天皇が大王として君臨していた頃の『日本書紀』の記述に、その手がかりがあります。
636年(舒明8年)秋7月己丑朔、大派王豊浦大臣に謂ひて曰く、「群卿百寮朝参することすでに懈たれり。
今より以後、卯の始めに朝りて巳の後に退れ。よりて鐘をもて節となせ」と。
然れども大臣従はざりき(巻23)
つまり、17条の憲法の「朝早く来い」と時間を定められていないのをいいことに、ゆっくり出勤してきたサボり魔大臣がいたというわけですね。
だから時間を定められてしまったわけです。
しかも卯の刻の始め(日の出の時刻、つまり朝5時頃)に出勤して巳の刻の後(午前11時頃)に退勤せよと。
退庁は鐘を鳴らして伝えたとされています。

日の出とともに出勤してお昼前に帰るのですね
そしてひと月に何日勤務に当たっていたかは分かりませんでしたが、個人的に疑問点として頭に入れて置きたいところです。
“12辰刻”が採られていたことも推測できる
そしてこの記述から、この頃には一日を2時間ずつ12の時刻で分ける“12辰刻”が採られていたことが分かります。
(時代劇を見ているとよく出てくるあの時間の呼び方です)。
推古朝では、この12辰刻で時間を表した記述が見つかりませんでした。
つまり、17条の憲法が制定された後に、12辰刻による時刻制度が定められたと推定できます。
12辰刻が初めて確認できるのは日本書紀に書かれた554年(欽明14年)ですが、酉刻を“ゆうべ”と呼んでいること、話の主語が百済の臣であることから、当時の大和朝廷には浸透していなかったと推測されるようです。
太陽の位置で時刻を推定・鐘で知らせる
まだ漏刻はないですから、正確な時刻は分かりません。
日の出と日没でその日の時間が変動した不定時法の世界です。
そのような中でも、太陽の位置でおおよその時刻を読み取って、時刻を共有していたようです。
ちなみに、ここで出勤時間に従わなかった豊浦大臣とは、蘇我蝦夷とのこと。
大化の改新で殺される、蘇我入鹿のお父さんです。
蘇我氏は天皇を脅かすほどの権力を持ちすぎたため、滅ぼされることになりますが、この頃から大和朝廷が決めた出勤・退勤時間に従わず、反抗的だったことがばっちり日本書紀に残されてしまっています。

後世に残る公の歴史書にチクられるなんて本人も思っていなかったでしょうね(笑)
本当かどうかは分かりませんが……。
この頃から日本人は出勤・退勤時間に厳しかったのだなと、勤勉な国民性が見えますね。
以上、昔むかしの出勤・退勤時間の話でした。
参考文献
『日本・中国・朝鮮 古代の時刻制度』


